はじめに
昨今、ロシアのウクライナ侵攻が大ニュースになっています。
なぜ、争いはなくならないのでしょうか。
「戦争はしたくない」と多くの人が望んでいるはずです。
そこで僕は、もう一度歴史を学び直そうと思いました。
今回紹介するのは渡辺惣樹さんと茂木誠さんの著書『教科書に書けないグローバリストの近現代史』になります。
<著者のプロフィール>
渡辺 惣樹(わたなべ そうき)
日米近現代史研究家。北米在住。1954年静岡県下田市出身。77年東京大学経済学部卒業。30年にわたり米国・カナダでビジネスに従事。米英史料を広く渉猟し、日本開国以来の日米関係を新たな視点でとらえた著作が高く評価される。著書に『日本開国』『日米衝突の根源1858-1908』『日米衝突の萌芽1898-1918』(第22回山本七平賞奨励賞受賞)(以上、草思社)、『アメリカ民主党の欺瞞2020-2024』(PHP 研究所)、『英国の闇チャーチル』『公文書が明かすアメリカの巨悪』(以上、ビジネス社)など、訳書にハーバート・フーバー『裏切られた自由(上・下)』、スティーブン・キンザー『ダレス兄弟』(以上、草思社)など。
茂木 誠(もぎ まこと)
作家、予備校講師、歴史系YouTuber。駿台予備学校、ネット配信のN予備校で世界史を担当。著書に、『経済は世界史から学べ!』(ダイヤモンド社)、『世界史で学べ!地政学』(祥伝社)、『ニュースのなぜ?は世界史に学べ』シリーズ(SB 新書)、『超日本史』(KADOKAWA)、『「戦争と平和」の世界史』(TAC)、『米中激突の地政学』(WAC 出版)、『テレビが伝えない国際ニュースの真相』(SB 新書)、『政治思想マトリックス』(PHP 研究所)、『「保守」ってなに?』(祥伝社)など。 YouTubeもぎせかチャンネルで歴史とニュースについて発信中。
連絡先:mogiseka.com
僕たちが学校で習う歴史は、世界の出来事の本の一部でしかないはずです。
何が本当で何が嘘かも正直判断するのが難しいです。
ただし、色々な視点で歴史を見ることが大事だなと考えました。
今回の本は、そういったこれまでの歴史教育とは違う世界の見方を教えてくれます。
このような内容には賛否が分かれると思いますが、そういった本こそ”良い本”だと僕は思います。
この本はかなり奥の深い内容となっているのですが、できるだけわかりやすく紹介していきます。
高校で世界史を学んでいた方はもちろん、歴史に興味がある方にはとてもおすすめです。
渡辺惣樹さんは他にも以下の著書があります。
渡辺さんは趣味で一次資料にあたっているのが大きな特徴です。
今回の対談本では参考資料は掲載されていませんが、興味のある方はこちらを読んでみることをお勧めします。
- 『日米衝突の根源1858-1908』
- 『日米衝突の萌芽1898-1918』
- 『朝鮮開国と日清戦争』
- 『裏切られた自由上・下』
- 『ルーズヴェルトの開戦責任』
- 『英国の闇チャーチル』
僕は、大学受験時代にこの書籍を使って、世界史を学んでいました。
それでは、以下の内容に分けて紹介していきます。
- 歴史修正主義
- イギリスが覇権を握っていた時代
- 覇権がアメリカへ
- 日米開戦に向かってゆく日米関係
- 第二次世界大戦
- 日本と世界の今後
※本の要約ではなく、僕が吸収したことのアウトプットです。多少内容が異なっている部分や僕の意見が混ざっています。記事の削除を希望される著作権者の方は、お問い合わせフォームよりお知らせください。即刻、削除いたします。
歴史修正主義
一般に言われる歴史修正主義
一般に「歴史修正主義」というと、第二次世界大戦を肯定するような立場のことを指します。
戦後のヤルタ体制やポツダム体制に異議を唱える人たちです。
渡辺惣樹さんのいう「歴史修正主義」
しかし、渡辺さんのいう「歴史修正主義」は違います。
それは、世界史を「流れ」で見ていこうという立場です。
太平洋戦争を例に考えてみます。
歴史を教科書通りに考えてみると、日本が真珠湾を攻撃したから日本とアメリカで戦争になったと解釈することができます。
では、「歴史修正主義」の立場で考えるとどうなるでしょうか。
詳細は後の章で詳しく解説していきます。
ポイントは「流れ」です。
世界の歴史は、一連の流れの上に成り立っています。
一つ一つの出来事がつながっているのです。
イギリスが覇権を握っていた時代
貨幣の歴史
この本のポイントは「流れ」と「お金」です。
まずは、お金の歴史について見てではいきます。
最初は、金・銀・銅を直接取引していました。
そんな中、中国の宋王朝で貨幣が登場します。
「交子・会子」と呼ばれるもので、インフレした銅銭の引換券でした。
それがモンゴル帝国の時代に「交鈔」となり、ヨーロッパに伝わります。
一方ヨーロッパでは、金を貸し付けて利子を取る商売が始まります。
そして、ヨーロッパでも金の引換券として紙幣が発行されるようになるのです。
時はとんで、産業革命の時代に入ると、イギリスは安く綿製品を製造することができるようになりました。
そのため、大量の金や銀がイギリスに流入することになります。
すると、イギリスはポンドをたくさん発行することができ、覇権を握るに至るのです。
アヘン戦争と南北戦争
1840-1842年に清朝とイギリスとの間で行われた戦争。
経緯: イギリスは清から茶を輸入していて赤字貿易に陥っていた。そして、大量の銀が中国へ流れる。それを防ぐため、イギリスはジャーディン=マセソン商会を使ってインド産のアヘンを密輸する。それに対し、清は1839年に欽差大臣の林則徐がアヘンの取り締まりを強化し、広州でアヘンを焼却する。これをきっかけにアヘン戦争が始まった。
アヘン戦争の講和条約
内容: 広州・厦門・福州・寧波・上海の5港開港、公行の廃止、香港島割譲。
内容: 領事裁判権・治外法権がイギリスに初めて認められた。
内容: 最恵国待遇・関税自主権の喪失
イギリスはアヘン戦争を起こして、勝利しました。
そして、不平等条約を結び、自由貿易を強要します。
よって、イギリスは清からおいしい汁を吸うことができたのです。
イギリスが美味しい思いをできたのは、通過発行権を握ったことが大きな要因です。
これと同じことをアメリカに対しても行おうとします。
それによって起こった戦争が南北戦争です。
1861-1863年にかけてアメリカ国内で行われた内戦。
経緯: 保護貿易を展開して国内産業を育成したい北部と自由貿易を継続してイギリスに綿花を売り込みたい南部が対立し、戦争に発展した。
南北戦争は北部の勝利で終結します。
この南北戦争の構図はアヘン戦争の構図と同じです。
「自由貿易を行いたいイギリス VS それに対抗する清国」
「自由貿易を行いたい南部 VS 保護貿易を行いたい北部」
まさに、アヘン戦争と南北戦争はパラレルな関係なのです。
自由貿易と保護貿易
自由貿易と保護貿易はどちらが正しいという関係ではありません。
ただし、自由貿易は先に工業化に成功した国が得をする仕組みになっています。
そのため、国内産業を育成するためには保護貿易を行う必要があります。
アメリカは保護貿易を行いたい北部が勝利することによって、国内の工業力育成につとめました。
そして、工業生産力をイギリスを抜き去ることに成功します。
覇権がアメリカへ
アメリカ歴代大統領
まずは、歴代大統領を整理します。
- 1897-1901 共和党 ウィリアム・マッキンリー
- 1901-1909 共和党 セオドア・ルーズヴェルト
- 1909-1913 共和党 ウィリアム・ハワード・タフト
- 1913-1921 民主党 トマス・ウッドロー・ウィルソン
- 1921-1923 共和党 ウォレン・ガメイリアル・ハーディング
- 1923-1929 共和党 ジョン・カルビン・クーリッジ・ジュニア
- 1929-1933 共和党 ハーバード・クラーク・フーヴァー
- 1933-1945 民主党 フランクリン・デラノ・ルーズヴェルト
- 1945-1953 民主党 ハリー・s・トルーマン
アメリカの工業発展とウィルソン当選まで
南北戦争終結後、工業生産力が上がってくると、ウォール街に金や銀が流入してくるようになります。
それと同時に、ロックフェラーやJPモルガンといった人たちが資金力を高めていきました。
のちに、ロックフェラーやJPモルガンがウォール街を仕切るようになります。
そして、政治的発言力も高めていきました。
そういった勢力に対抗する形で盛り上がりを見せたのが、1896年の大統領選挙で民主党の候補者となったウィリアム・ブライアン候補です。
ウォール街は危機感を募らせ、共和党のマッキンリー候補に莫大な支援をしてマッキンリー候補が大統領に選出されます。
その後、マッキンリー大統領は金本位制の制定や米西戦争を進めていきます。
門戸開放宣言を国務長官ジョン・ヘイが出したのもこの頃です。
マッキンリーは自由貿易を推し進め、金権政治の象徴的存在でした。
マッキンリー大統領は暗殺されます。
次に大統領になったのが、日露戦争を仲裁したセオドア・ルーズヴェルト大統領です。
マッキンリー前大統領が暗殺されていることから、セオドア・ルーズヴェルト大統領は金権政治と決別する必要がありました。
しかし、セオドア・ルーズヴェルト大統領の後を継いだタフト大統領は金権政治と決別することはできませんでした。
そうした中、1912年の大統領選挙では、セオドア・ルーズヴェルト前大統領が進歩党という党を作って立候補しました。
これによって、保守票が分裂し、民主党のウィルソン大統領が選ばれます。
第一次世界大戦に参戦した大統領です。
この保守票が割れたことに、ウォール街の関与があったのではないかと渡辺さんは述べています。
また、ウィルソン大統領はFRBを作り、通貨発行権を握りました。
中央銀行の設立については、ジャクソンやリンカーンをはじめとする大統領が強く反発してきました。
しかし、こうしてウォール街は通貨発行権を持つ中央銀行の設立を果たしたのです。
日米開戦に向かってゆく日米関係
日本の国際連盟加盟
第一次世界大戦では、日本を戦争に引っ張り込みたい英仏の圧力もあり、日本はアメリカと石井=ランシング協定を結びました。
内容: 21か条要求に基づいた日本の特殊権益を認める
そして、その代わりに日本はアメリカなどの国々の防衛の任務にあたりました。
アメリカが参戦すれば、ハワイやフィリピンが攻撃される恐れがあるためです。
また、ロシア革命が起こり共産党が政権をとると、英米の要望により対ソ干渉戦争に参加しシベリア出兵を行います。
日本はこれらの行いにより、英米仏などから信頼を獲得することができました。
そして、明治維新からわずか50年で国際連盟に加盟するほどの国まで上り詰めた。
ワシントン会議は失敗か?
日本とアメリカは中国での利権をめぐって、徐々に対立し始めます
そして、第一次世界大戦の後にはワシントン会議が開かれました。
4カ国条約:日米同盟の破棄が目的
ワシントン海軍軍縮条約:米5、英5、日3、仏1.67、伊1.67
9カ国条約:中国の独立と門戸開放、領土保全を尊重
ワシントン会議では以上のような事柄が決定されました。
日本にとっては一見不利に見えます。
しかし、渡辺さんによるとワシントン会議は失敗ではなく、むしろアメリカはこれを評価していると述べています。
つまり、ワシントン会議が日米開戦に多大な影響を与えたわけでないのです。
中国をめぐる日米の対立
1920年代の中国を見てみましょう。
軍閥が各地にでき、共産党と国民党も存在している状況でした。
2024年には軍閥を打倒する北伐のために、第一次国共合作がつくられます。
しかし、1927年に国共合作に危機感を募らせた英米が蒋介石を支援し、上海クーデタが勃発します。
この時、日本も治安維持法を制定して、共産主義勢力と対立していました。
つまり、蒋介石と同じ方向を向いていたのです。
しかし、日本は蒋介石の南京政府の承認を渋り、北京軍閥政府と関係を築いていました。
これが米中対立の始まりとなるボタンの掛け違いではないかと、渡辺さんはいいます。
日本には、イギリスのように傀儡政権をたくさん作るなどの悪さはありませんでした。
第二次世界大戦
満州事変とリットン調査団
1931年9月18日には日本の日本の石原莞爾らの首謀で関東軍が奉天郊外の柳条湖で事件を起こします。
これについて派遣された国際連盟のリットン調査団は日本に大甘な決定を下しました。
リットン調査団は、日本に対し満州の国際管理化を提案し、経済制裁すらかしませんでした。
ただし、ポイントはこのリットン調査団に反日の調査員がいたということです。
反日の調査員を送り込んだのは国務長官ヘンリー・ルイス・スティムソンです。
日本はその反発もあってか1933年に国際連盟を脱退しました。
日独伊三国同盟
1933年には、スペインで内戦も起こっています。
共産党に甘い容共政権であるアサーニャ政権に対し、フランコ将軍がクーデタを起こし始まりました。
イタリアとドイツはフランコ将軍を支援し、共産主義勢力に対抗しました。
この時、英米仏は独伊の行動に対し目をつぶっています。
1936年には、日本も共産党に対抗して、日独伊防共協定を結びます。
1937年、盧溝橋事件をきっかけに日中戦争が勃発。
1939年にドイツがポーランドに侵攻し、1940年にはフランスに侵攻しました。
これに焦ったアメリカが武器貸与法を制定し、英仏などへの支援を表明します。
この頃日本はフランス領インドシナへ進駐し、日独伊三国同盟を結びました。
ここで、謎が生じます。
なぜ、スペイン内戦のドイツとイタリアの容共政権を叩くことには目をつぶり、同じ容共政権である蒋介石には支援をしたのでしょうか。
また、1937年にはフランクリン・ルーズヴェルト大統領が「日独伊を世界から隔離する」といった隔離演説を行います。
日独伊三国同盟が結ばれたのは1940年ですから、まさに対立を煽っているとみることもできます。
1940年のアメリカ大統領選挙
アメリカに話を移します。
1940年のアメリカ大統領選挙では、無名だったウィルキーという人物が候補者に選ばれました。
これには、アメリカを戦争に引きこみたいイギリスの工作とウォール街などの国際金融資本の支援が関係していると渡辺さんは指摘します。
ウィルキーさんはフランクリン・ルーズヴェルト大統領に負けますが、敗北後はルーズヴェルト支持に転じているのです。
真珠湾攻撃
太平洋戦争直前、アメリカは日本に対し、ハルノートを突きつけます。
これを書いたのは、ソ連のスパイであったホワイト財務次官だったそうです。
つまり、日米戦争は日ソ戦を避けたいソ連と、上海利権を日本から守りたいウォール街の利害が一致し、プログラミングされたものだということです。
この時の謎として、アメリカは真珠湾攻撃の前後でどれほど日本海軍の暗号を解読できていたかということがあります。
今後
憲法を改正するべきか?
ここまで、18世紀の帝国主義の時代から、第二次世界大戦までを紹介してきました。
この本の面白いところは、渡辺さんと茂木さんで意見の違うところがある点です。
その一つとして憲法改正についての議論がありました。
- 渡辺さん:憲法を改正しない選択肢もあり
- 茂木さん:憲法を改正しないと独立国にはなれない
渡辺さんも茂木さんも基本的には憲法改正に賛成だそうです。
しかし、渡辺さんは今憲法を変えないという選択肢もありなのではないかと思うようになってきたと言います。
なぜなら、今の憲法にはアメリカがつくったということができます。
そのため、アメリカが戦争に関与していても「アメリカさんがつくった憲法の範囲内で協力します」ということができるのです。
一方、憲法を改正してしまえば、アメリカがつくった憲法という理由を使えなくなってしまいます。
渡辺さんの意見に対して茂木さんは、憲法を改正して独自の軍隊を持たなければ、本当の意味で独立国にはなれないと主張します。
ただし、憲法を改正をするのであるならば、アメリカなどの大国に「NO」を言える強い政治家が必要です。
憲法改正については、今後も色々な本を読んで考えていきたいと思います。
ウクライナ問題の謎
ウクライナの問題については以下の動画がオススメです。
ウクライナの謎の一つに、アメリカの行動があります。
アメリカはロシア軍がウクライナに攻めてくるという情報を果敢に流します。
しかし、アメリカは軍をウクライナに派遣しないということを明言してしまいました。
なぜでしょうか。
アメリカは軍を派遣しないという情報は本来言わない方がいいはずです。
なぜなら、戦争を煽ってしまうからです。
朝鮮戦争やイラク戦争の時のように、戦争を煽って敵に先制攻撃をさせるというアメリカのやり方なのでしょうか。
アメリカ大統領のこの発言によって、プーチン大統領の侵攻のスイッチが押されたと考えることもできます。
2022年3月26日現在も争いが続いています。
おわりに
最後まで読んでくださり、ありがとうございます。
この本にはかなりせめた内容が書かれていました。
まさに、学校などの歴史の教科書には書かれていない内容です。
そんな内容を書くことができたのは、著者である渡辺さんと茂木さんが学者でなないからでしょう。
先輩後輩の上下関係や利権などのしがらみが一切ないからこそ、書くことができたのだと思います。
歴史については、何が正しいことなのかはわかりません。
ロシアのウクライナ侵攻からもわかるように、歴史は繰り返しているようにも見えます。
しかし、歴史を色々な角度から見ることによって、歴史から学びを得ることができるでしょう。
争いなどによる犠牲者が少しでも減ることを願います。
【著作権者(著者、訳者、出版社)の方へ】
当記事では、本が好きという方に対して面白い本を紹介することを目的としています。
書籍上の表現をそのまま使うのではなく、自分の言葉で描き直すように心がけています。
また、本に対してネガティブな印象を与えないことはもちろん、ポジティブな印象を与えられるように記事を執筆しています。
しかし、万が一行き届かない点があり、記事の削除を望む所有者様がいましたら、お手数ですが、
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